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C-Popを聞くーこの曲は編 vol.1 [本]





の続き。


アーティスト単位というより、この曲は良い、と思ったもの。他にもまあまあ良い曲があるアーティストもある。


1 無眠(福建語)  蘇打緑(Sodagreen)


Sodagreenは台湾のバンド。お気に入り編の呉青峰がメインボーカルで、作詞作曲もしていた。ほとんどが北京語の歌の中、これは福建語。メロディも美しく、ボーカルの切々と訴える声も良い。北京語バージョンもあって、似たような歌詞だが、較べて聞くと、福建語の方が、歌声に魂がこもっているように聞こえる。自分が福建語の歌詞は聞き取れないことを差し引いても、福建語バージョンの方が良い。


2 推開世界的門  楊乃文


楊乃文は台湾の女性歌手。低めの声が魅力。この曲は、不思議系の歌詞と耳に残るメロディが特徴。サビの部分の歌詞が、「左手の泥よ、右手の泥よ」と唄っている。他にも、「如今」など。


3 藍雨(広東語)  張学友


張学友は香港の男性歌手。90年代頃、大スターだった(と思う。)この歌は、徳永英明の「レイニーブルー」のカバー。歌詞は、レイニーブルーそのままではないのだが、オリジナル曲の世界観をうまく広東語の歌詞に引き写していて、素晴らしい。作詞は、林振強という非常に多くの曲を手掛けた作詞家による。Beyondの「早班火車」や、あとで紹介するつもりの「細水長流」なども林振強の作詞。





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リコマースとブックオフに同じ本を査定に出したら [本]

最近、本を売るようになった。


少し前まで、今まで読んだ本たちを、いずれずらりと大きな書庫に並べるのが夢で、1冊も捨ててこなかったが、この年になると、それは夢のままで終わることがかなーりはっきり見えてきて、そうすると、今ある本棚でやりくりしなければならないのだから、もう2度と読まないだろうと思う本はどんどん売ることにした。それと、初めの方だけで挫折したのに、これが本棚にあったら、賢そうに見えるというくだらない理由で捨てられなかった本も。


今回、30冊位の文庫本、単行本、写真集などを、リコマースというアマゾンと提携している会社に査定に送ってみた。


さて、リコマースの査定は、「240円」。衝撃の安さ。出版されたばかりの万城目学の「べらぼうくん」が200円くらいで、その他が残り。こういうところで、激安査定されると、「馬鹿にされた」ような気分になるのが嫌なところ。せっかく処分したつもりの本が返ってくるのは面倒臭いが、承認しなかったら、ご満足頂ける買取金額をご提示することが出来ず申し訳ございませんでした。」とメールが来た。全くもってその通りと思った。


返ってきた本を、今度はブックオフに送った。査定は、「4677円」。「べらぼうくん」は399円になった。査定額30%増のクーポン利用していることと、買取をあらかじめ承認しているので返送料のリスクがブックオフにないことを考えても、違いすぎる。


本や洋服を売るときに、どこが高値で買い取ってくれるのだろう、というのは、以前からネットで検索しているのだが、ステマみたいな記事ばかりで、信用できそうな情報がない。この私の記事と同じようなことを他の人も書いているのかもしれないが、検索では上位に上がってこないのだろう。それでも、一応書いてみた。


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風呂で読書グッズ [本]

お風呂で文庫本を読む時間は幸せだが、本はぶよぶよになる。最近は、もう2度と読まないだろうなと思う本は処分することにしているのだが、ぶよぶよの本は売れない。


そんなこともあって、絶対本が濡れないグッズを買ってみた。




「ユウブミ」という商品。工夫に工夫を重ねて、本をぬらさずに読めるようにしました、という洗練されていない感に、開発者のいじらしさが感じられる。しかし、セッティングが面倒なので、一旦セットしたら、ずっと入れっぱなし。風呂場で読んで、続きをベッドでというわけにはいかない。それから、なんといっても、字面の上にビニール被っているので、字が読みずらい。


セットが面倒なのは我慢できるが、もう少し字が読みやすくなってくれると、文句はない。

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とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 ジョイス・キャロル・オーツ [本]

最初の「とうもろこしの乙女」が中編位で、その他短編の短編集。


サスペンスともファンタジーともホラーともつかない独特の世界観の短編集で、作品それぞれに趣向が少しずつ違う。作者の妄想世界をそのまま小説にしたようなところが、なまなましくて、好みではない。あざとい通俗小説と紙一重と感じた。


陳腐だとは感じなかったが、たぶんもう読まないだろう。



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変身の恐怖 パトリシア・ハイスミス [本]

パトリシア・ハイスミスの未読の作品を見つけた。絶版になっているらしく、中古しか入手できなかった。


「太陽がいっぱい」に並ぶ傑作、と文庫本の裏表紙に唄われているのだが、私はそれもなるほどと思った。かなり良い作品で、あまり知られていないのは、おそらく話が地味であることと、吉田健一の訳が古くて分かりにくい日本語だからではないか。


主人公の男は、映画の脚本を書くために、ニューヨークから、チュニジアのリゾート地へやってくる。彼を呼び寄せた映画監督からは連絡がない。やがて、ホテルのコテージに滞在しているOWLというアメリカ人の男や、近くに部屋を借りているデンマーク人と知り合う。ある深夜、男は自分のコテージに侵入しようとした人物の影に対してタイプライターを投げつける。侵入者はボーイ達がひきずってゆき、コテージの床を拭いていったようだが、翌朝になっても、何もなかったことになっている。この出来事に固執するOWLと「どーでもいいじゃん、そういう所だよ」という態度のデンマーク人、揺れる主人公の心。規範意識の危うさと厄介さが一つのテーマだろう。


主人公は自分の小説を書き始める。それが、偽造者の話で、主人公は太陽がいっぱいのトム・リプリーを彷彿とさせるこちらは規範意識の非常に乏しい人物で、ある種の劇中劇のような構造になっている。この作品のタイトルは、この劇中劇からきており、「Tremor of Forgery」、直訳すると「偽造者の振顫」のようなもの。どんな偽造者でも、偽造サインの最初に顕微鏡でみるとわずかな震えがある、ということを指す。(売れていないのは、「変身の恐怖」というタイトルの訳も大きいと思う。つまらなそうで、印象に残らない題だ。)


OWLというアメリカ人にはもちろん名前がある。最初は名前で呼ばれているが、これが独善的な「アメリカの民主主義やアメリカ人的道徳って素晴らしい」教の人物で、「Our Way of Life」ばかり言っているので、OWL(ふくろうの意味もある)と、段々作中で呼ばれるようになる。こういう辛辣なハイスミスのやり方が大好きだ。


舞台は終始チュニジアで、どんなところなのか知識もないので、なんとなく「カサブランカ」と「シェルタリングスカイ」の世界を想像しながら読んだ。後で調べると、イタリア半島のすぐ南だった。


そのうち新訳が出たら読み直したい。(英語で読めよ)



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ヌヌ 完璧なベビーシッター レイラ・スリマニ [本]

ヌヌはフランス語でベビーシッターを意味するという。


冒頭でいきなり、ベビーシッターが子供2人を殺した(一人はまだ死んでいないようだが)という帰結が明らかにされ、やがてそこまでに至る経緯が描かれる。


ヌヌのルイーズは白人、雇い主のミリアム(母親)とポール(父親)のうち、少なくともミリアムは有色人種という、普通と少し違う設定。その中でルイーズとミリアム、ルイーズと年嵩の方の女の子との関係が次第に緊張していく様子がうまく書かれている。ルイーズは完璧に家事と育児をこなす有能なヌヌなのだが、夫婦のヌヌであることに依存し執着してく。


難を言えば、ルイーズに精神病歴があることを最後に書かなかった方が良いのではないか、精神病のせいにすべての出来事がなってしまうのであれば、かえって面白くないように思えた。それから、ルイーズが「孤独」であると繰り返し強調されるのだが、これも、「孤独」という言葉でなく表現してほしかった。

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飛田ホテル 黒岩重吾 [本]

飛田といえば、大阪の元遊郭があった場所で、今ではなぜか仲居と客の自由恋愛として売春が公然と行われている場所。橋下徹は弁護士のくせに、合法だと言い張っているらしい。そんな理屈で合法になるのなら、どんな売春も合法化されると思うのだが。


その飛田の昭和30、40年代ころの雰囲気がなーんとなくわかるという短編集。小説としては、同じようなモチーフが繰り返されていたりしていて、特別面白いものではない。「飛田ホテル」「黒岩重吾」という組み合わせがそれだけで、何となくその時代の猥雑でもの悲しそうな空気を連想させるので、それだけで十分だった。

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空白の5マイル 世界最大のツアンポー峡谷に挑む 角幡唯介 [本]

ツアンポー峡谷というのは、チベットの秘境にある険しい峡谷で、険しいが故に19世紀ころから欧米の数々の探検家が踏破を試みたが、どうしても超えられない5マイルが残ったので、その部分が「空白の5マイル」と言われたという。


冒頭に著者自身の2回の探検時の地図や、歴代の冒険家の写真や略歴が置いてあり、分かりやすい。「空白の5マイル」を著者が埋めたのかとおもいきや、実は、著者の最初の冒険の時点ですでに埋まっていることも、この時点でわかる。

全体としては、著者自身の探検よりも、ツアンポー峡谷に挑んだ過去の冒険家たちの話の方が面白い。


最後の方に、難所の表現として「若い女性を取り扱うよりも注意が必要」という表現があり、非常にひっかかった。


そもそも、冒険を描くノンフィクションの中に出てくる表現として非常に唐突である。著者が、冒険をしていない時間の描写はないため、まず、「へーそんなに若い女性取り扱っているの?」と思う。


次に比喩としての不適切さである。「どういう意味?」若い女性の特徴ってなに?すぐに泣く?感情的になる?痴漢に間違えられる?とでもいうのだろうか?どのようなステレオタイプのバイアスをもって、「若い女性」を比喩に出しているのか理解に苦しむ。中年女性でも、高齢男性でも、中年男性でもなく、男の子供でもなく、「若い女性」の特徴ってなんだろう。本気で私はどういうつもりでこの比喩を用いたのか、問いただしたい。


最後に「取り扱い」の不適切さ。取扱いに注意が必要って、カメラにでも使うような言葉だ。若い女性は、著者にとって取扱いの対象なのだろうか?若い女性との「付き合い」でも、若い女性との「会話」でもなく、「取り扱い」というのは、両者が対等ではない関係に使う言葉だ。


この一言で、私はすっかり、この著者に対して幻滅してしまった。こういうところに品性が露呈する。それにしても、こういう表現は、編集者が気が付いて直してくれたりしないものか。

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一日江戸人 杉浦日向子 [本]

江戸の風俗や文化を面白く、分かりやすく読めて、しかも正しく調べて書いた本はないかと探して、杉浦日向子の本を何冊か買ったが、これが一番良かった。イラストもふんだんに入っていて楽しい。

物価が安かったので、そんなにあくせく働かなくても町民は食べていけたとか、当時のヤンキーの服装とか、何故「八丁堀のだんな」が格好いいと思われていたか、とか。

杉浦日向子は若いうちに亡くなってしまったが、同じような構成で、もっと書いてほしかったと思う。

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拾った女 チャールズ・ウィルフィード [本]

サンフランシスコのカフェの店員が、美しい人妻を拾う。二人ともアルコールにおぼれているが、人妻の方が重症なアルコール依存症で、主人公の男は目が離せないために、仕事をすることができなくなり、金もなく行く先には破滅しか見えない恋愛小説。ウィルフィールドは犯罪小説家とされているらしいが、ノワールっぽい味わいはあるものの、犯罪小説ではない。

そして、最後の2行で、小説は別の側面を見せる。恋愛小説には違いないのだが、これに気づかなかったのか、作者はこのことを最後まで明かさなかったのか、違和感があったプロットの原因はこれか、とわかる。


昔どこかで聞いた話で、

「A検察官には弟B君がいます。」

「B君にはお兄さんはいません。」

これはテストで、これに、え?と思うかどうかが、バイアスの有無を示すのだ。この小説の構成は、これに似たテストでもあったと思う。私は騙されたのでテストに失敗したわけだ。

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